中海岸原邸 原三渓の別のルーツを茅ヶ崎に辿る 

所在 茅ヶ崎市中海岸三丁目

【土地の系譜】

製糸業を営んでいた埼玉県児玉郡神川町(旧若泉村)渡瀬の原家(現 日本マイカ)に生まれた原善三郎は第二国立銀行を設立、衆議院議員となる。その孫娘(やす)に岐阜から養子に入ったのが、現横浜銀行の初代頭取、三渓園で知られる実業家の原富太郎である。

一方、同じ渡瀬の原家に生まれた原善三郎の兄弟である原鐵五郎は、横浜に原鐵運送を開業。その娘(き和)に埼玉から養子に入った直蔵(鐵五郎を1901年に襲名)(武州銀行監査役)が、1903年に茅ヶ崎市中海岸に土地を購入した。

当時、1989年に茅ヶ崎駅が開設され、茅ヶ崎村長の伊藤里之助が中心となり、茅ヶ崎に別荘を誘致していた。鐵五郎は村長の伊藤里之助から直接土地を購入している。
当初購入した広大な土地は幾度かの分割を経て現在の敷地となる。

資料:旧土地台帳および伊藤里之助と原鐵五郎(直蔵)との土地売買に関する書簡の履歴

 

資料:原家の家系図 家系図.pdf (当会作成)

参考資料

【調査経緯】

原邸が相続税支払いのため、その大半をマンション開発業者に売却されたことを市景観みどり課から知る。浜松に住む所有者に連絡し調査をさせてもらうことを依頼。所有者立会いのもと解体工事前、2023年11月15日に調査に入った。

【建物概要】

棟上げ式の記録写真から、主屋の東側は昭和3年5月に棟上げされている。西側はのちに増築されている。
増築時には主屋の東側と西側は繋がっていたが、調査時には壁で仕切られていた。

写真には蔵が既に写っており、明治後期から大正に建造されたと思われるが建築日は未明。

蔵は洋小屋(トラス構造)となっており、また、解体したところ柱は鉄骨で組まれていた。
蔵の1階は住居、2階を倉庫として利用されていた。

南側にある別棟は売却対象外のため残される。

<現地航空写真> googleより

国土地理院より1960年代の航空写真

【調査内容・所見】

<主屋の平面図>(当会作成)

<蔵の平面図>(当会作成)

<外観>

<主屋内部>

<蔵内部>

<増築部内部>

<主屋の小屋組み>

<別棟の内部>

<解体中>

アーカイブ